【着付け】合同授業 王朝装束の美学
83回目 合同授業 王朝装束の美学
【助教授19回目】
2022/4/2 SAT
ハクビ京都きもの学院『きもの教本 助教授・教授編』第1版, 東京, 株式会社ハクビ, 2020, 144p
やったこと
- 王朝装束の美学についての講義
- 王朝装束の実演
王朝装束の美学について
例の如くメモ書きなのでわかりづらいかも
平安時代は、貴族の時代
- 奈良時代は、二部式。男性も女性も。大陸文化由来(唐)→女性も活躍する時代
- 菅原道真の進言で遣唐使廃止→国風文化へ
- 奈良末期は乙姫様みたいな格好
- 平安時代:女性は歌を詠んだり仮名を書いたり、教養を高める生活
- 平安前期→奈良末期に近い
- 平安中期→藤原氏台頭「源氏物語」
十二単
- 長袴→歩く必要がない。歩くことははしたない
- 十二単になると御簾の中で静かに過ごすようになる
- 着付けの際、紐は紅白一本ずつ用いる。交互に抜いていく。最後はどっちも抜く
- 髪の長さは長ければ長いほどいい
- 衣装の色目で美しさを想像する。(平安時代は御簾に隠れて、顔が見えないので)
- 染織や織物の技術は、奈良時代に中国・韓国から伝来
- 仕立てに関しては、重ねの色目が5mm出る仕立ての方法がある。袖口とかは縫っていない
- 上着は、唐織みたいにはっきりとした織物。昔の文様、有職文様。
- 着装の衣紋者(着付ける人のこと)がおり、着付けられる人は足も手も出さない。手を出すのははしたない。
- 衣紋道には2つの流派がある。京都の山科流と東京の高倉流。平安時代からずっと受け継いでいる
- 奈良時代から平安時代になって着るものが増えたので唐衣やもの形も変化
- 既婚者は、切髪あり/緋の袴、未婚者は、切髪なし/蘇芳の袴
- 十二単着るのに最短で20分
- 胸元には必ず畳紙を入れる→江戸時代に筥迫へ
- 檜扇はひとつで30万くらい
- 衣紋者について。女性の場合、前の人の方が位が高い。男性の場合、後ろの人の方が位が高い。と言われるが実勢大変なのは逆!!!位の高い人のが楽
束帯
- 身分の高い人は2枚袴をはく
- 男性が本来は着付ける
- 衣装というのはきまりごと。身分があるという証
- 男性の着付けのために衣紋道ができた
- 徳川家康も徳川家光も肖像画は束帯
- 武士が着るときは、高倉流。貴族は山科流。現在天皇家が着るときは、交互。平成は山科流で着付けた。
- 瑪瑙や水晶のついている帯
- 着るものによって立派に見える
- 太刀は佩くと表現する
- 袖も中のものに合わせて調節する
- 束帯はハレの装束
直衣
- 自分で脱いで自分で着られる。そうでないと夜遊びに出掛けられない。
- 源氏物語で光源氏が身につけているシーンがある。衣擦れの音で来るのがわかる。
- 身分の高い人が着るのはいい着物
- 烏帽子は寝る時もつける
- 桜の直衣 光源氏も
- 平安時代は女性の寿命は30歳。食べ物や不衛生なことが原因
- 足袋は履かない!
- わざとくくり紐を外に出す。ひらひら
- 片膝を立てて座るっていた(韓国式)正座になるのはずっと後。
略礼装
- 細長は10代のお姉さんが着る
- 物忌みとは、髪につける髪飾り。付けるのは子供だけ
- 汗衫(かざみ)は子供の衣装。徳川和子がお輿入れするときにも誂えられている。
- 袴は本当は2枚履く。長袴と短いやつ。
王朝装束の実演
十二単
今回の衣装は「くれないのにおい」
だんだん薄い色から濃い色、もしくは逆のことを「におい」と表現
薄様というものもある。
桜重ね、梅重ね、松重ねなど、季節を意識したものがある
直衣と文官束帯
袿姿
汗衫と細長
赤い髪飾りが物忌