【着付け】刺繍技法についての研修
16回目 刺繍技法についての研修
【持ち物】筆記用具
学んだこと
- 刺繍の歴史や技法についての講義
- 刺繍の実物を見て触る
着物・帯の制作過程について
染の技法
染は、主に白生地の反物にする。(綸子とか)一色に染めると、色無地。手で描くと、手描き友禅。型染めは、色の数だけ型紙が必要。たくさんの色を使うほど多く要る。日本で最多は300。墨流しや臈纈染も染の一種。
織の技法
代表的なのは紬。先染め。織る糸自体を染めていく。糸から染めること、染めた糸で柄を織ることが合わさってできる。絣も。
繍の技法(ぬいの技法)
出来上がった織物に対して付加価値をつけるもの。刺繍や絞りなど。総刺繍のものからワンポイントまで。
刺繍の歴史について
飛鳥時代
インドから中国のシルクロードを渡って伝えられた仏教伝来と同時期に始まったと考えられる。(繍仏:刺繍で仏像や仏教的な主題を表現したもの)
奈良時代
刺繍の技術が一気に発展
平安時代
衣服に施されるように
鎌倉時代
繍仏の制作が活発に。刺繍の仏教美術が復興した鎌倉・室町時代
室町時代
芸能衣装である舞楽装束・能装束に用いられる
桃山時代
刺繍が史上最も華やかで魅力的であった時代。芸能衣装だけでなく小袖に刺繍を入れたりするように
江戸時代前期
友禅染が登場すると色を添えるだけの技法に落ち着き、金糸・銀糸を用いた駒繍が生まれる
江戸時代後期
富裕層が友禅染と比べ手間隙のかかる刺繍に注目
近代
万博への参加。国の維新をかけて技術・芸術を競いメダルを毎回獲得。
装飾の地位から脱し芸術性を追求した刺繍絵画。近代の刺繍は刺繍絵画と呼ばれるようになり商人・絵師・職人の三者の協働により生まれる。
明治時代
明治維新と廃仏毀釈によって注文主の大名や寺社仏閣が没落。新たな市場として「海外貿易」。輸出用の作品として、壁掛け、屏風、布団、カーテンなど室内装飾を彩る様々な刺繍品が制作・輸出された。
大正時代
実用品でもある刺繍の需要が増える。対象モダンの流行とともに池田重子コレクションに代表されるような可愛く、華やかな半襟刺繍の世界が花開く。 色付きの半襟や派手で明るい今の成人式でつけるようなものが流行った!
戦後
洋服がスタンダードになっていく一方できものの需要が高まっていく
昭和
大きな転換点として、ミシン刺繍の誕生がある。京繍、加賀繍、江戸繍などブランド化する中で日本の伝統的な技術・芸術としての刺繍が認知。人間国宝に福田喜重氏が選出。
刺繍の技法
汕頭刺繍(スワトウ)
中国3大刺繍のひとつ。発祥は汕頭で、天津条約を機に宣教師たちがヨーロッパの刺繍技法を伝えたのがはじまり。ヨーロッパの感性と中国古来の技法の融合。「糸と糸の間を開いて留める」もしくは「糸を抜いて留める。」日本ではできない、できる人がいない刺繍
相良刺繍(サガラ)
中国3大刺繍のひとつ。生地の裏から糸を抜き出し結び玉をつくり、これを連ねて模様を描いていく技法。別名玉縫いとも呼ばれる。針を刺すたびに玉結びする。技術が揃わないとできない。技術がないとぼこぼこになってしまう。
蘇州刺繍(ソシュウ)
中国3大刺繍のひとつ。およそ2500年前呉の国が都を蘇州に置いてた頃から刺繍が盛んに行われていた。髪の毛より細い糸を縫い重ねることで刺繍表面があまり盛り上がらないこと、生地が波立たないこと、また絹100%の染色糸を使用しており美しく華やかで気品にあふれている。隙間ができないように縫う。一番太くて普通の糸の2分の1。細いのでは36分の1。
金駒刺繍(キンコマ)
刺繍針に通せない太い糸や金糸などを木製の駒に巻いて、それを転がしながら刺繍糸を下絵に沿ってはわせ、綴じ糸で留めていく技法。金糸・銀糸を使ってやっていく。留袖や訪問着に使う。
日本刺繍
12部門42種の技法は無限と言われ、長い歴史の中で継承されてきた繍の伝統は「技法とはそれを表すこころの道筋」時代の中で進化、各地に普及したことにより京都ー京繍、江戸ー江戸刺繍、加賀ー加賀繍と発祥した土地名で呼ばれている。津軽のこぎん刺しのように刺し子刺繍で小物雑貨などが発展した例も。
所感
- 講義形式の授業は初めてだったので面白かった
- 歴史とかを踏まえて教えてもらえるのはありがたい
- 初心者だと何がなんなのかわからないので、実物をたくさん見れるのもよかった
- 180万する反物や、120万の着物など手にとって仔細に眺めることができて有意義だった
- 先生たちの私物の着物や帯も見れてよかった。
- 刺繍の種類や歴史など知らないことばかりだったので勉強になった
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