【着物初心者】きものの基礎的な知識についてのまとめ
私が学んだきもの知識についてのメモ
きものの名称
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共衿
「共衿(ともえり)」は、衿汚れを予防するために着物の衿に取り付けられた短い衿のこと。「掛け衿」とも
褄先
褄の先端のことで、衿下と裾の出会う角のこと
衽線
「衽線(おくみせん)」は、衽の縫い線のこと。おはしょりの衽線と、裾の衽線が一直線になるように着付ける
末広
扇のこと。祝儀扇とも。女性用は漆塗りが一般的で金銀の紙が貼られている
背縫い
左右の後ろ身頃を縫い合わせることを背縫いという。またその縫い目のこと
後ろ身頃
衣服の身頃のうち、後ろの部分
振り
袖付けから袖下までの開いた部分のこと
裄
きものの背縫い最上部から、肩山を通り袖口までの寸法
袖付け
袖と身頃が接続する部分のこと
脇縫い
きものの両脇にある、前身頃と後身頃を縫い合わせた縫い目
こはぜ
足袋・きゃはん・書物の帙などの、合わせ目をとめるために付けるつめ形のもの
きものの種類・格・TPO
訪問着
訪問着は、明治の末に生まれ。一般に着られるようになったのは昭和の初めごろになってから
・概要現在の三越百貨店が名付けて売り出したのが発端です。開発当初は、絵羽模様に限らず、お客様宅に訪問するのに申し分のない着物という意味合いが込められていました。こうした理由から、当初は三つ紋を付けて仕立てるのが重要なポイントでした。現在では一つ紋か紋の無い状態で仕立てられる事がほとんどです。・特徴「絵羽」と言われる模様付けが最大の魅力です。その方法としては、まず生地を採寸した通りに裁断したのちに仮で縫います。仮の着物として仕立てた時点で、不自然がないよう模様を付けます。その後、再びほどいて染色する流れです。染める段階で、帯の上下を含むすべての面が対象なので、縫い目に関係なく模様が描かれます。・主な用途結婚式および披露宴(親族として出席の場合は不適)/ お見合い / 正式なお茶会 / パーティーなどの華やかな行事などのあらゆるシーンに対応できます。様々な社交的場面で着られる和服として、大変重宝します。 引用先:https://www.buysellonline.jp/blog/tsukesage-houmongi
付下げ
付下げは、きものを着た時に、模様がすべて肩山を頂点として上向きになっている
・概要太平洋戦争中の日本において、贅沢が禁止されたことにより誕生したオシャレ着の和服です。よって、古くからあると思われがちですが意外にもそれほど古い歴史は持っていません。誕生時こそ遊女や芸妓の仕事用として使われていましたが、昭和30年代に入り一般層にも広く普及しました。和服の中では割安な金額で手に入り、それでいて様々なシチュエーションで着られる汎用性の高さから人気に火がつきました。・特徴反物のまま染めるという特徴があります。ゆえに柄が縫い目にかからないよう染色します。着た時に全ての柄が上を向き、左右の身頃や肩から袖にかけて模様は繋がっていません。また、既婚未婚を問わず着られるのも魅力の1つです。・主な用途入学式および卒業式 / 小さなパーティーや同窓会 / 軽めのお茶会 / お客様宅への訪問 / 観劇など、少しあらたまったお出かけの際に相応しい和服です。 引用先:https://www.buysellonline.jp/blog/tsukesage-houmongi
喪の正装
喪の正装は、ミス・ミセスの別なく羽二重または縮緬の黒無地に染め抜き五つ紋。半喪服は色無地のきものに、正装と同様に黒で統一した帯や小物を用いる
江戸小紋
江戸小紋は一色染めの細かい模様が特色。江戸時代の武士の裃柄(かみしもがら)が発達したもの。江戸小紋に一つ紋を入れると色無地と同格となり、慶弔両用に用いることができる
絣
飛白とも書く。文様織の一種。文様の図案に従って経糸か緯糸,または両方の糸を前もって染めておき,これを用いて織った織物。文様の輪郭部がかすれて見えるのが特徴。技法はインドから伝わったといわれる。法隆寺や正倉院に7~8世紀頃の遺品がある。江戸時代以降庶民の衣服に応用され,各地で特色ある絣織物がつくられた。
着装の手順
肌襦袢
肌襦袢は前をゆったり合わせる。基本的に肌襦袢の衿は、こぶし一つ分くらい抜く
長襦袢
長襦袢の衿合わせは、年齢や体型によって調整する
きもの地と産地
エルムユーカラ織
北海道の毛織物。羊毛と北海道特有の麻を材料に、綴織や浮織の技法を用いて、手織りされる。
南部紫根染・茜染
岩手県。紫根染は日本に古くから伝わる草木染で、ムラサキという植物の根で染められる。南部藩の重要産物として京都朝廷や江戸幕府への献上品上納品、また諸国大名家への土産品として珍重されてた。
本塩沢
新潟県。本塩沢は、越後上布・塩沢紬・夏塩沢と共に塩沢産地の代表的な伝統織物であり、従来は「塩沢お召」の名で広く親しまれていた。
小千谷縮
新潟県小千谷市周辺を生産地とする苧麻を使った麻織物。撚りが強い緯糸で織った布を湯もみする事で「しぼ」を出した織物である。
真岡木綿
真岡木綿は、栃木県真岡市で作られている木綿織物。すべて手作りで手紡ぎ・手染め・手織りで行われるのが特徴。
結城紬
結城紬とは茨城県結城市を中心につくられている紬の織物。 ふっくらとした柔らかい手触りが特徴で、無地のほかにも亀甲や絵絣で文様が描かれている
有明天蚕紬
産地は、長野県松本市穂高町有明。天蚕は、山繭とも呼ばれるヤママユガ科の昆虫の繭。この天蚕の繭と家蚕の繭からとった真綿を合わせて手で紡いだ糸を緯糸に、絹糸を経糸に用いて織る。絹なりがして、上品な薄緑色の光沢がある。軽くて丈夫であたたかい。
群青紬
産地は、岐阜県郡上郡八幡町。手紡ぎ、植物染、手織による紬織物。玉繭の原糸がほとんどである。柄はおもに縞、格子、絣だが、斬新な幾何模様のものもある。絹とウールの特徴を合わせもったような風合いがあり、丈夫でしわになりにくく、あたたかい。
有松・鳴海絞
産地は、愛知県名古屋市緑区有松町、鳴海町。有松、鳴海地方で生産される木綿の絞染。現在は絹物や洋服地にも応用されているが、かつては浴衣や手拭いに用いられていた。
浜縮緬
産地は、滋賀県長浜市。絹糸の使用量が多い織物で、とくに一越縮緬は最高級品である。
浜縮緬とは、長浜縮緬を略した名称
倉吉絣
産地は、鳥取県倉吉市。太番手の綿糸を地藍で染めた経緯絣の木綿織物。紗綾形、亀甲つなぎ、青海波、輪違い、麻の葉、松皮菱、菱に向い鶴などの有職紋様を織り込んだ絵絣で、厚手のものが多い
備後絣
産地は、広島県芦品郡新市町、府中市、福山市。井桁絣や絵絣の木綿織物
染
このサイトが詳しい!便利!いろんな地方の染や織について詳しく述べられています。
京鹿子
京都で千年以上受け継がれてきた高貴な染め技法。下記の記事が写真付きで詳しい
出雲祝風呂敷
出雲地方で、婚礼の際に伝統的に用いられる筒引き藍染風呂敷。砧打ちした木綿生地の中央に生家の家紋、二隅あるいは四隅に鶴亀、松竹梅、宝尽しなどの瑞祥紋様を筒描き染したもの。
天草更紗
意匠にペルシア、インド、オランダふうの鳥や草花模様が描かれた、異国情緒豊かな古典調の更紗染。
紅型
縄を代表する伝統工芸の一つである「紅型(びんがた)」。「紅」は色を、「型」は模様のことを指し、「紅型」とは顔料や染料で染める型染めの一種のこと。一枚の型紙を使って染め分ける。
ろうけつ染
生地に溶かした蝋(蜜蝋)で文様を描き、染液に浸したあとで蝋の部分を洗い流し、文様を表わす染色技法。奈良時代に行なわれたものを「臈纈」(ろうけち)という。日本にはインドから中国を経て伝わり、奈良時代に盛んに行なわれたが、ろうけつの材料となる蜜蝋の輸入が途絶えたためか平安時代以降用いられなくなり、明治時代に復興した。
人生・年中の行事
慶事
新郎新婦の父親が和装の場合の正装は、黒羽二重五つ紋付きのきものと羽織に仙台平の袴。新郎新婦の母親が和装の場合の正装は、五つ紋付きの黒留袖。
結婚式での新郎新婦は特別なので、彼らに近い人ほど新郎新婦の式服と格を揃えるのが一般的だとされている。仲人の式服は、新郎新婦の式服と格を揃える。
更衣
更衣は季節に合わせるのではなく、季節に一歩先んじて行うことが大切だとされる。更衣では、袷のきものは、10月の初めから5月の末日まで着るものとされる。
単のきものは、6月1日から6月末日までと、9月1日から9月末日までの間着るものとされる。
薄いきものや透けるきものは、7月初めから8月末日までの間着る。
麻のきものは、7月中旬から8月末日までの間着る。
長襦袢は、無双袖仕立てのものは11月から4月まで、単仕立てのものは4・5月よ9・10
月、絽・麻・薄ものは6月から8月までの間着るものとされる。
塩瀬 (しおぜ)などの半衿は9月から5月までの間用いる。塩瀬は袷の季節に用いる半襟のもっとも代表的なもの。絽・麻などの半衿は6月から8月までの間用いる
染・織・装 ー浴衣ー
注染中形
明治時代の末期になると、布の上に染料を注いで染める技法が主流となった。これを「注染中型」、「注染」という
歌舞伎役者のトレードマークの浴衣
江戸時代の歌舞伎役者が扮装に用いたり、 自ら考案した文様を称して歌舞伎好みの文様という。「かまわぬ」・「めでたい」・「よきこときく」。このように文字や絵に意味が隠されている「判じ物文様」が有名。
染・織・装 ー子供の祝着ー
お宮参り
誕生後、はじめて土地の氏神にお参りするのがお宮参り。地方により多少の違いはあれど、男女とも生後30日目頃にお参りする
七五三
起源は平安時代。三歳の男女の「髪置き」、五歳男子の「袴着(はかまぎ)」、七歳女子の「帯解き」のお祝いで、江戸時代には、武家や裕福な商人の間でも行われるように。明治時代には三歳・五歳・七歳の三つの祝い事をまとめて「七五三」と呼ぶようになり、庶民の間にも広まった。これが現在の七五三の由来。三歳の女児のきものは四つ身仕立てにする。帯をつけないときは被布を組ませ、鹿の子絞り三尺を用いることが一般的。男子の五歳のお祝いの別名は、袴着の祝い。帯解きの祝いでは、きものは本裁で仕立てる。女子は7歳になると、それまでの紐付きの着物にかわって本裁ちの着物を着、丸帯を締めた。これを紐解き・帯解きなどといった。この日からは一人で帯を結べるようになり、一人前の人間として社会に認めらるけじめの儀式。
染・織・装 ー帯ー
兵児帯
兵児帯は薩摩の若い男性が、普段使いの帯として締めていたもの。年齢15歳から25歳以下の男子を「兵児(へこ)」とよぶことからついた名称。白い木綿だった。
吉弥結び
江戸時代に流行した帯の両端に鉛をつけて結んだ帯結び。歌舞伎の女形・上村吉弥(かみむら きちや)の「吉弥結び」に由来。上村吉弥が、幅広の長い帯を垂れ下がるように華やかに結んで舞台で見せたことがきっかけとなり、帯結びは華々しく展開していく。「吉弥結び」の登場は、帯のスタイルに革命をもたらしたと言われる。結び方では、前や横に結んでいたのが後ろで結ぶようになり、現在のスタイルに近くなった。
くけ帯
武家の女性が締めていた丸帯の原型の帯
島田大祭(帯祭)
帯を木刀に飾って行われる
3年に1度、10月中旬に開催される島田大祭。大井川鎮護や安産の神として信仰されている大井神社の祭りで、1695年(元禄8年)に神事祭式が定まり、初めて神輿が渡御(とぎょ)されてから令和元年で109回を数えます。当初の供奉(ぐぶ)の行列は、神輿の他に代官をはじめ宿役人、一般の宿民が続き、鹿島踊りや大奴もこの時代から加わっていました。現在では一般に「帯まつり」の名で知られ、その名は島田宿に嫁いできた女性が安産祈願を大井神社にお参りしたあと、宿場内に帯を披露していたものが、いつしかお嫁さんの代わりに大奴が金爛緞子(きんらんどんす)の丸帯を太刀に掛けて練り歩くようになったことに由来し、日本三奇祭に数えられています。
腹合わせ帯
表と裏で異なる生地で仕立てられた帯。 「昼夜帯」「鯨帯」とも呼ばれます。 一方に黒繻子や黒ビロード、他方に白繻子を用いた様子を昼と夜、あるいは鯨の背と腹に見立てたところから、このような呼び名になったとされる